長雲山 龍泉寺の公式ホームページ 開基 小野寺左京亮友光

お知らせ

先住13回忌・施食会を修行いたしました

 11月1日、当山31世重興大業智雄大和尚の13回忌・恒期の施食会法要を修行いたしました。  特に先住忌は、檀家さんをはじめ法類や教区の和尚様方にご焼香いただく機会を得ることがなかったため、今回随喜いただきましたことに深 …

お地蔵さまのお祭り

7月・8月は、浅舞の町内や各集落ごとに地蔵講のお祭りがあります。講員の皆様は、お地蔵様のお供物にと手作りのお料理を沢山もちよりお集りになります。 龍泉寺の地蔵講でも、毎月24日の集まりと年に一度の7月24日には水エボ地蔵 …

今年最初の蓮の花

今年最初の蓮の花が7月27日に咲きました。 残念ながら、強風のため翌日にはもう散ってしまいましたが、これからの季節にまた花を咲かせてくれるでしょう。 また、昨年収穫した蓮の種をこの春から育てています。幾つかの桶に可愛い葉 …

お寺の中庭

龍泉寺の開山堂の裏手の林、かつて菅江真澄が「琵琶清水流れ落来ておのづから泉をなす」と書いてその眺望を絶賛したとのこと。 残念ながらいまはなかなか手も行き届かず、かつての絶景というわけにはまいりませんが、禅寺にとっての庭の …

さつきの花

檀家の遠藤徳四郎さんが手塩にかけて育てられたさつきを、今年もご厚意でお寺に飾ってくださいました。 お寺の玄関などで見事な花を咲かせておりますので、お天気の良い日など、ぜひお越しになりご覧ください。      

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お寺の木々の紅葉

お寺のもみじやイチョウの樹がいよいよ紅葉の時期を迎えました。昨年は降雪がはやくしかも解けることがなかったため紅葉を楽しむことはできませんでしたが、今年は鮮やかな色合いを楽しむことができそうです。 落葉もいちどきには掃けま …

寄贈図書の紹介「BUNJI劇場」

9月20日、図書の寄贈をしていただきました。 著者は当地出身の酒匂鶴子さん。ご自分の実体験をもとに「BUNJI劇場」という本を出版なさいました。 もしこれを読んでくださった誰かの助けになることができたなら、という思いでわ …

花まつり

記事が遅くなりましたが、本年も4月18日に、感恩講保育園のみなさんをお招きして「花まつり」のお祝いをすることができました。 昨年は年中さんだった子たちも今年は年長さんになり、去年も来たんだよと、やや慣れた様子だったのが微 …

3.11

3.11は東日本大震災のあった日であり、わたくし(龍泉寺住職)は石巻市でその日を迎えたのでした。 その当時から亡くなった方を見るというお話はいくつもあり、わたくし自身もまたそういうお話に遭遇したこともあります。 心霊現象 …

たとえば小欲知足

前回。いささかくどいことを書き連ねたのですが、要は「仏教とは、苦しみを離れて安らかになる教えであり道である」ということを書いていたわけです。では、何をどう行えばいいのかといえば、たとえば『大般涅槃経』のなかに次のような一 …

龍泉寺開創

 龍泉寺開創  永禄年間
(1558~1570)
 御 開 山  増田町
満福寺3世梅翁正倫大和尚
 開  基   浅舞城主 小野寺左京亮友光
(龍泉院殿即山清心大居士)

寺伝に、永禄年間(1558~1570)、浅舞城築城にあたり、浄土宗の草庵を移して菩提寺となしたと伝えられている。但し、ご開山梅翁正倫大和尚は、文亀元年(1501)年に遷化しているため、開山大和尚存命中に勧請をし、のちに堂宇を建築したものか、あるいはご開山大和尚が創建した堂宇を、築城と同時に改めて築いたものであろうか。その場合、いずれにしても、龍泉寺の創建は浅舞城築城以前のことであり、ご開山大和尚存命中のこととなるが、定かではない。同時期に同じく梅翁正倫大和尚によって創建された沼館蔵伝寺は文亀元年、または永正年間(1504~1521)の創建と伝えられている。

小野寺友光公について

小野寺友光墓所

小野寺友光墓所案内

最後の浅舞城主(小野寺左京亮友光 天正18年:1590年 9月29日没)天正18年(1590)年、太閤検地の横暴な仕方に反発して起こった仙北一揆の責めを負い、自害したともまた戦死ともきく。しかしながら、一揆は9月下旬に起きたとあるうえ、一揆収束を10月半ばとみれば(上杉景勝の感状に、10月14日「千五百余成敗、悉追払得」との記載もある。)没年月日が一揆収束以前であるため、あるいは伝聞の誤りも考えられる。

さて、友光公がいつどのような次第でなくなったのかであるが‥

下総鮭延寺縁起という資料があるらしく、その示すところでは天正18年3月に、朝舞(浅舞)にて上杉景勝の士と鮭延秀綱の従者の間に諍いがあり、朝舞の郷民が上杉に与力したとある。

小野寺氏の客将であった鮭延氏が背いたのが天正9年であるとすれば、それによって最上の侵攻を招いたものとして、鮭延氏が浅舞衆に反感を持たれたのも頷けるし、のちの関ケ原で上杉方についた小野寺氏を鮭延氏が攻める展開になったのも、あるいはこの事件が伏線になっていたのかもしれない。この事件の結末として郷民数名が責めを負うこととなったが、浅舞城主が罰せられたとの記載はないようである。

また、菅江真澄による「友光塚」の由来を記した一節によれば、天正15、6年ころ、淀君のいいつけで巡検使がめぐりきた。が、権威に傲りあまりに横暴であるため、これをきいた友光は大いに怒り、密かにこれを討とうとしたという。結果、3000ほどの軍に浅舞を囲まれ、川を下って逃れようとしたが、討手もあり、新平川の小中島という処にあがり自害したとある。友光が巡検使を討とうとしたのは天正17年、自害は天正18年のことであるという。

秀吉の奥州仕置きが天正18年7月以降であることから、菅江真澄の記述もあいまいであり決定的なものではない。しかし、のちの最上勢との戦いぶりでは、浅舞の軍勢になみなみならぬ敵愾心が感じられる。上記の何が原因であるにせよ、城主の無念を晴らすべく、というのはもちろん想像に過ぎないのではあるが。

なお、前述の菅江真澄の記述により、友光の妻は馬鞍城主関口能登守の娘、友光の娘は柳田治兵衛尉の妻とある。また別の記述で小野寺義道の子とされる。一説に小野寺光道と同一視されることもあるが、小野寺光道には、「光高道盛信士」という戒名があるため、別人と考えるのが自然であろうと思われる。また、小野寺氏の嫡流また庶流も含めて、名には「道」の字がつけられることがほとんどであるため、この点からも、義道の子だとすることに疑問が残る。あるいは、輝道の弟である光朋の系図に属することも考えられるし、浅舞の土豪が小野寺氏の一族化したか、あるいは小野寺氏が浅舞氏に入ったのか、資料の少ないことが残念である。郷土史に造詣の深い方々の教えを乞うものである。

本堂須弥壇には座像が祀られている。また、墓所は市の指定文化財となっている。

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小野寺友光の菩提寺

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たとえば小欲知足

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