長雲山 龍泉寺の公式ホームページ 開基 小野寺左京亮友光

お知らせ

フェイスブックを移設いたしました

お寺のホームページはフェイスブックと連動してみることができます。 ところが、以前のページとの連携がきれてしまったため、ホームページを更新してもフェイスブックには反映されずそのままになっておりました。復旧作業が長引いたため …

お問い合わせについてのお願い

龍泉寺のホームページからお問い合わせいただいた場合、基本的にはパソコンのアドレスから返答申し上げるわけですが、パソコンのメールを受信できる設定になっていない場合、こちらからの返答メールが届きません。 もしも返答が届かない …

公衆電話設置のお知らせ

2月18日、龍泉寺中門に公衆電話が設置されましたのでお知らせいたします。 今回の設置は、NTT東日本によって、緊急時や災害時等における有効な通信手段を確保するためにおこなわれたものです。従いまして、誰の目にもつき、さらに …

本堂懸魚の修理を終えました。

昨年12月、9月4日の台風によって飛ばされた本堂の懸魚を修理いたしました。 一口に懸魚といいましても大人の半身ほどもあるものが本堂の一番てっぺんから飛ばされたものです。足場を組んで慎重な作業となりました。 元のものを補強 …

注連縄をご寄進いただきました

昨年末、境内の諸堂に注連縄を張り、注連飾りを飾りつけていた際、ひときわ立派でしっかりと張られている注連縄がありました。龍泉寺の境内にお稲荷さんのお堂があることを知って、ご寄進いただいたものであります。 ご寄進くださったの …

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今年もさつきが見頃です

今年のサツキも見事な花を咲かせているとのことで、檀家の遠藤徳四郎さんが、手塩にかけて育てたサツキをお寺の玄関周辺に荘厳してくださいました。いつもなら時期がややずれるお寺の躑躅もちょうどいい具合に咲いて今が花盛りです。 ち …

なんとなく

なんとなく忙しさにかまけていると、普段の景色すら目に入らないものなのですね。 ようやくひと段落して周りをみてみれば、八鍬もみじも既に色が変わり、お地蔵様の足元ではあやめの花が開いておりました。 何がというわけではないので …

お寺の花が咲きました

浅舞に遅い春が訪れ、龍泉寺のあちこちで花が咲くと、ようやく暖かさを感じたような気になります。今年の桜は4月22日あたりに蕾がひらきはじめ、24日には見事な咲きぶりを見せてくれました。花桃はやや遅く5月にはいってから満開に …

花祭り

4月18日、今年もまた感恩講保育園の年長さん年中さんの子供たちをお招きして、花祭りを開催いたしました。 今年はお天気に恵まれました。手をつないで仲良く歩いてくる姿はとても可愛らしいものですね。 花祭り、灌仏会はお釈迦様の …

雛飾り

毎年この時期になると、お寺中総出でお雛様を飾りつけします。 秋田の伝統的郷土人形である中山人形や八橋人形、住職があらたにもとめた竹田人形なども含めて、いつもの応接間がちょっと華やかになります。 例年、旧暦のひな祭りまで飾 …

龍泉寺開創

 龍泉寺開創  永禄年間
(1558~1570)
 御 開 山  増田町
満福寺3世梅翁正倫大和尚
 開  基   浅舞城主 小野寺左京亮友光
(龍泉院殿即山清心大居士)

寺伝に、永禄年間(1558~1570)、浅舞城築城にあたり、浄土宗の草庵を移して菩提寺となしたと伝えられている。但し、ご開山梅翁正倫大和尚は、文亀元年(1501)年に遷化しているため、開山大和尚存命中に勧請をし、のちに堂宇を建築したものか、あるいはご開山大和尚が創建した堂宇を、築城と同時に改めて築いたものであろうか。その場合、いずれにしても、龍泉寺の創建は浅舞城築城以前のことであり、ご開山大和尚存命中のこととなるが、定かではない。同時期に同じく梅翁正倫大和尚によって創建された沼館蔵伝寺は文亀元年、または永正年間(1504~1521)の創建と伝えられている。

小野寺友光公について

小野寺友光墓所

小野寺友光墓所案内

最後の浅舞城主(小野寺左京亮友光 天正18年:1590年 9月29日没)天正18年(1590)年、太閤検地の横暴な仕方に反発して起こった仙北一揆の責めを負い、自害したともまた戦死ともきく。しかしながら、一揆は9月下旬に起きたとあるうえ、一揆収束を10月半ばとみれば(上杉景勝の感状に、10月14日「千五百余成敗、悉追払得」との記載もある。)没年月日が一揆収束以前であるため、あるいは伝聞の誤りも考えられる。

さて、友光公がいつどのような次第でなくなったのかであるが‥

下総鮭延寺縁起という資料があるらしく、その示すところでは天正18年3月に、朝舞(浅舞)にて上杉景勝の士と鮭延秀綱の従者の間に諍いがあり、朝舞の郷民が上杉に与力したとある。

小野寺氏の客将であった鮭延氏が背いたのが天正9年であるとすれば、それによって最上の侵攻を招いたものとして、鮭延氏が浅舞衆に反感を持たれたのも頷けるし、のちの関ケ原で上杉方についた小野寺氏を鮭延氏が攻める展開になったのも、あるいはこの事件が伏線になっていたのかもしれない。この事件の結末として郷民数名が責めを負うこととなったが、浅舞城主が罰せられたとの記載はないようである。

また、菅江真澄による「友光塚」の由来を記した一節によれば、天正15、6年ころ、淀君のいいつけで巡検使がめぐりきた。が、権威に傲りあまりに横暴であるため、これをきいた友光は大いに怒り、密かにこれを討とうとしたという。結果、3000ほどの軍に浅舞を囲まれ、川を下って逃れようとしたが※1、討手もあり、新平川の小中島という処にあがり自害したとある。友光が巡検使を討とうとしたのは天正17年、自害は天正18年のことであるという。

秀吉の奥州仕置きが天正18年7月以降であることから、菅江真澄の記述もあいまいであり決定的なものではない。しかし、のちの最上勢との戦いぶりでは、浅舞の軍勢になみなみならぬ敵愾心が感じられる。上記の何が原因であるにせよ、城主の無念を晴らすべく、というのはもちろん想像に過ぎないのではあるが。

なお、前述の菅江真澄の記述により、友光の妻は馬鞍城主関口能登守の娘、友光の娘は柳田治兵衛尉の妻とある。また別の記述で小野寺義道の子とされる。一説に小野寺光道と同一視されることもあるが、小野寺光道には、「光高道盛信士」という戒名があるため、別人と考えるのが自然であろうと思われる。また、小野寺氏の嫡流また庶流も含めて、名には「道」の字がつけられることがほとんどであるため、この点からも、義道の子だとすることに疑問が残る。あるいは、輝道の弟である光朋の系図に属することも考えられるし、浅舞の土豪が小野寺氏の一族化したか、あるいは小野寺氏が浅舞氏に入ったのか、資料の少ないことが残念である。郷土史に造詣の深い方々の教えを乞うものである。

本堂須弥壇には座像が祀られている。また、墓所は市の指定文化財となっている。

※1 浅舞は地下水が豊富な地域であり、浅舞城跡をみれば大宮川に囲まれた水城であったようである。それゆえ包囲された状態から逃げることができたのであろう。

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小野寺友光の菩提寺

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