節分行持・立春諷経

本年2月2日は節分にあたりました。そのため、通常2月3日に行っているお寺の節分行持と毎年の感恩講保育園の節分行事が同じ日になりました。

節分とは文字通り「節を分ける」意でありまして、立春は翌日の2月3日にあたります。単純に申しますと、旧暦では節分は年の暮れ、立春は元日となります。新年、つまり春になる前日の行事で鬼を祓い邪気を祓うわけです。炒った豆を撒くのは、一説によれば「豆」は「魔目」であるから、新芽のいずる春に悪い芽がでて育たぬよう芽のでぬように炒るのだとか。農事とも切り離せぬものでもありましょう。よい芽がでて良い実りをもたらすことが望まれたのです。

感恩講保育園での豆まきは毎年のことでありますから、毎年判で押したような同じ話をするわけにはいきません。子供たちは覚えているものですし、同じだと思えば飽きもするでしょうから、ちょっとは工夫も必要です。昨年から「鬼滅の刃」というアニメが流行しているようで、たまたまその主人公のパネルを頂きました。鬼退治の話のようでありますし丁度よい、ひとつ使わせていただくことにいたしました。そのうえで、皆さんのこころに悪い芽がでぬよう育たぬようとお話をいたしました。

この節分に関して浅舞に伝承があり、それによれば豆を播くまでは口をきけない。ただ播く人だけ「福は内、福は内、鬼は外、外は鬼、天に花咲け、天に花咲け、地に実はなれ、地に実はなれ、鬼の目の玉ぶっつぶせ」と大音声に豆を叩きつけるとの記録があります。龍泉寺では先住31世智雄大和尚が行っていた通りに「福は内、鬼は外、天に花咲け、地に実なれ、鬼の目ん玉ぶっつぶせ」と住職が大音声で播き、続いて般若心経を唱えている間に、参加者が五合升をもってお寺中に豆を播きに走ります。播いた豆は、参加者が自分の年齢にひとつ足した数だけ拾いお守りにいたします。翌日以降、お寺にお参りなされた方にやはり同じように拾っていただきます。
豆を魔目とするのは語呂合わせでしょうし、目の玉といっても眼球のことではなく、出でて育つ芽のことでありましょうことは「天に花咲け、地に実なれ」という言葉からも推測できます。農事はもちろん、やはり人としてのこころのありようを、新年を迎えるにあたって清らかにしたいとの願いの込められたものだと思います。

翌3日は立春、つまり旧暦でいうところの元日であります。立春諷経をおあげいたします。この日は寒の明けでもあります。先住智雄大和尚の母である佐々木イソ氏によれば、寒の明けを寒のわかれ、あるいは寒の立ち別れといったそうです。立春の時刻に天候が荒れるとそのあと75日天気は荒れるとのことで、別の伝によれば48日とあります。ただ75日は長すぎます。正月から彼岸の入りくらいまでの日数ですので、厳密には寒のわかれではありえません。48日でよいでしょう。おそらくは人の噂や初物をたべて寿命が延びるという別のものとの混同があったのであろうと思われます。
通常、立春の時刻で季節を分けるので、わかれは分かれでありましょう。イソさんは立ち別れとの言葉を使っているので、寒い冬との決別、温かい春を望むという意味での言葉でありましょうか。

年末年始にかけていくつもの行持があり、また、若水、七草などのある時期でもあり、それらの伝承がどのように生きているのかを知る機会があったことから、是非大切に残しておきたいとの欲求が生じました。ここに書かないものの興味深い伝承も知ることができました。いつかきちんとしたものにまとめてみたいものです。

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