貞子さん・・・

つい先日、寺族さんたちが居間でまったりしておりましたので、わたくしも一緒に、と思いテレビに目をやりましたら・・・。
おや?和製ホラー?ん?貞子?どうも「リング」「螺旋」からはじまった貞子シリーズを一挙に放映していたらしく、その後半戦のようでした。

映画「リング」といえば1998年の作品だそうです。それまでの日本の幽霊像が、それ以降ありとあらゆるものぜんぶ貞子になってしまった、わたくしにはそんな風に感じられるくらい「貞子」の印象は強烈でした。それまでは「あなたの知らない世界」とか古典的なお岩さんなどのイメージだったのが、この映画以降、もう幽霊像と言えば猫も杓子もみんな「貞子」。

いいんですよ、別に。
でもね、テレビやマスメディアが取り上げる心霊体験ものが、これ以降、長い髪で顔を隠した白装束の女性ばかり。今までの幽霊はどこにいっちゃったの?あれもこれも、貞子っぽいものばかりしかでてこないとなるとやっぱり変ですね。

 

そもそも心霊ものを見る時には、わたくしは大体においておもしろくない。
それこそ「あなたの知らない世界」などを見ながら、子供心にも『そうそう恨みや怨念を残していく人間ばかり、そんなに大量にいるわけないだろう』というような思いがありましたし、「リング」にいたっては『コラコラ。見境なく祟るんじゃないよ』という怒りすらおぼえたものです。

ところが。
延々と続く貞子祭りに参加しているうちに、だんだん貞子さんが可哀そうになってきたのです。
それぞれの映画は、シリーズものですからストーリーとしてある程度の連続性をもっているわけです。が、同時に独立した作品でもあるわけで、そうすると、貞子さんの、不運で、数奇な、やるせない過去が、毎回毎回これでもかと語られるのです。だからといって無闇矢鱈に祟りまくることとの因果的な必然性なんてどこにもないわけで、ただもうひたすらに哀れ。最後には『貞子さん可哀そうだよ。いい加減に成仏させてあげようよ』などという思いまででてくる始末。

誰も救われないというのもホラーの手法なんでしょうが、ここらでひとつ「貞子」というキャラクターにも救いがほしいところ。

 

 

などということを感じながらテレビをみていたわたくしですが、基本的に「心霊現象」というものをあまり認めてはおらず、たいていは「心理現象」であろうと考えております。ですので「貞子」が登場して以降の「心霊現象」にでてくる幽霊像がみんな「貞子」であることに、むしろ密かにほくそ笑み納得しているくらい。とはいえ。「心霊現象」そのものを否定するというのもいささか乱暴ですよね。

 

最近、面白い写真を見つけました。(image credit: Philip Davali / Olafur Steinar RyE)

これは、コペンハーゲンで活動しているデンマークの写真家2人が、撮影方法によってどれだけ異なる印象を見る人に与えるかの実例を示した写真の一部です。
コロナで社会的距離を保つことを求められているのはデンマークでも同じのようで、上の写真だけ見れば「密集」しているかに見えます。しかし実際には下の写真のように距離は保たれています。

写真は事実を写しますが、その事実が真実とは限らないのですね。見方によっては、まったく別のものになる。わたくしたちの脳は、どうも勝手に情報を補足しちゃうらしいのです。

探してみましたらこのようなものもありました。グラフの内容はともかくグラフの形が変ですね。
ちょっと微妙でわかりにくいですが、47%なのに50%をはみだしてますね。
こんなことなんて、すぐには気づかないかもしれないし、そこまで細かくも見ていないかもしれません。
いずれにせよわたくしたちは、実際には事実を示す形ではないにもかかわらず、その形から受ける印象を事実として受け取っていることがあるわけです。

心霊現象というものも、おそらくはそれ。心理的にどういう印象をうけたか、これで大部分の心霊現象の説明はつきそうな気がします。

なによりも。
怨念などというものは実体としてあるものではないのです。恋の告白を受け入れてもらったときに「よろこび」とはいうけれど、そのよろこびには様々なこころの要素が含まれていて一様ではありません。虚栄、高慢やその人を喜ばせたいという期待、そこにいたるまでの自己の努力に対する思いもあるかもしれない。同様に、一口に怨念とは言うけれど、恨み、怒りに交じって愛や悲しみがあるかもしれない。
そういった思いをすくい上げてこそのご供養なのであって、怨念全否定ではそもそもそこに救いはないでしょう。現実にそういった思いがある以上、それを全く受け入れたうえでなければならないのだと思います。それそのものとして全く受け入れ「あれ」とか「これ」という取捨選択は不要なのだとあらためて思うわけです。

ですから、映画という虚構の世界の中の話ではありますが、貞子さんには、ぜひ、そんな風に救われてほしいものです。

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