女子力アップで明るい日常!
もうすぐ4巻も発売になるので、今から楽しみにしているのが『メンタル強め美女白川さん』。これを読んでいると「あら、わたくしも女子力アップしなければ」と自然に思えてくるのが不思議です。
作中、白川さんのまったく悪意のない思考の方向がおもしろくて、読みながらなるほどと思うことも実に多いのです。
女子力と言えば「共感する力」とものすごく大雑把なくくりで語られることが多いけれど、この漫画の中では、いわゆる「つるむ」という形での「共感」ではなく、もっと当たり前に明るい、肯定感あふれる「共感」が描かれています。
「共感」という言葉自体は良いものなので、「共感」といえばなんでも良さそうな気がしているけれど、「つるむ」ことで「さげ」たり否定したりする「共感」も実際にあるわけですから、なんでもかんでも一緒くたというわけにはいきませんね。ひと頃流行りました「空気を読む」という言葉もそうです。実際、その言葉は、グループ、仲間内だけの「共感」強制につかわれたりもしていましたから。ですから「空気を読め」という以前に、まずは周囲の見える人間になりたいものですね。
「共感」することも「空気を読む」ことも決して悪いことではないのに、時にはいじめやハラスメントの現場で、自分の利益や楽しみのためだけに都合よく使われてしまっていることもあるようです。残念でなりません。
さいわい、白川さんにはそのようなどす黒さはなく、みんな一緒で、明るく前向きです。
前回のブログでさらりと流しましたが、「躾」ということは「身を美しくする」「身を華(花)にする」という字にあらわされるそのままの意味です。「躾」という字は国字ですから、日本においてどのようなことを躾というのかがよくわかるというものです。親、教師、兄姉などの先達は、どのようなこと・どのような仕草が礼を失するのかを教え、どのような言動が礼にかなって美しい所作となるのかを教え、それが身につくように指導いたしますが、結局のところ、それを身につけるのは本人の積み重ねです。ですから、所謂「躾がきちんとしている人」というのは、そうであることを選び取って積みかさねてきた方です。時代がどう変わろうと、躾というもののありかたはそういうものです。それは変わらない。
わかりやすくいえば、躾とは自らできるようになること、自ら身につけることをいいます。この漫画の中の白川さんは、いつも自分を美しく磨こうとしています。どんなふうに磨くのかと言えば、隣のミヨちゃんが綺麗な所作でお箸をつかっていれば「まぁ、綺麗。わたくしもああなりたい」といって自ら美しくなろうとするし、向かいの太郎君がテストで100点満点なのをみて「わぁ、すごい。わたくしもがんばろう」といって勉学を怠らないでする。努力のさきにあるのは「なる」「できる」。そう信じて努力や積み重ねをする白川さんは、どんどんそのようになってゆく。とても素敵なキャラです。ちなみに、ミヨちゃんも太郎君も例えであって、漫画には登場しません、念のため。
「あの人はわたくしより素晴らしい」と感じた時、たしかにわたくしたちはその人よりも「できない」し、まだ「なっていない」のかもしれません。でも、それを目指して積み上げていけば「できる」ように「なる」ことも可能です。白川さんにはもう「できる」こともたくさんありますし、綺麗にも「なって」いるのですが、決して奢って他者を見下さない。なぜなら、他者である彼らも「できる」し「なれる」から。
くだくだしく書いてしまいましたが、そんな前向きな意志で自分を磨き続ける白川さんは、とても魅力的です。それが女子力というものなら、是非、磨いていきたいものですわ。