美白になろうとしたら

昨年からなんだかんだで病院通いが続いております。
一旦は治ったはずなのに症状だけが続くのでおかしいと思い、3月に検査をしてもらったところ、想像もしていなかった箇所でより深刻なことがわかり治療をすることになった次第。
この一月ほどで7キロ近く痩せ、もうすぐ8キロ落ちるのではないかといった具合です。
そうなると体調は逆によくなったようなもので、イビキはピタリとおさまり咳もほとんどなくなっているという状態。お医者様から禁止されたお酒も、治療の初日からそもそも飲みたいという気が一切起きないので、もう目の前にあっても何の苦にもならないというビックリな有様なわけです。

環境と刺激という点からいえば、目の前に欲望を喚起するような対象があれば、人間はなかなかその欲望を抑えられないものなのだというのが普通です。なので、目の前にあっても何とも思わないというのは、はじめから欲しくないものなんだということなんでしょうね。元来お酒に強いわけでもないし、習慣とか惰性で飲んでいただけなのかもしれません。

以前、欲と怒りのことを書きましたが、それはもちろん「自分にとって」ということであります。自分にとって都合のいい気持のよいことを求めるのが欲。自分にとって都合の悪い気持ちの悪いことに対するのものが怒り。全員がまったく同じはずがありません。だから当然「自分」と「自分」どうしの対立が起きてくる。
夫が暑いといってエアコンの温度をさげると、妻が寒いといって温度をあげる。どちらも自分の感覚にとって正しいことをしているわけです。ただし、お互いが対立している時点で「自分の感覚の正しさ」なんてものを主張するのは無意味です。相手の感覚もまた同じように、その人にとっては正しいのですから。
たいていの場合、「自分の正しさ」なんてものはその人にとってだけの正しさであって、万人に堂々と主張するような類のものではありません。日常におけるお互いの「正しさ」の諍いなんて、お互いの感覚について言い合っているようなものです。あれは面白い面白くないだの、これは言い方が良いだの悪いだの、右のほうが良かっただの、いや左のほうだだの、暑いだの寒いだの早いだの遅いだの、ほんとうに「自分にとって」というだけのことばかり。
仏教でいうところの欲は、そもそも自分にとって都合のいい気持のいいものです。そして、それぞれお互いに「私の感じていることが正しい」と自己主張をはじめる。世の中における主張の対立なんてものは、所詮この欲に捉われているだけのものだといってもよいくらい。

何故こんなことを書きだしたかといえば、きっかけは「美白」です。
この一月ばかりで大いに痩せ、顔も小さくなってこれまでよりさらにシミやソバカスが目立つような気がしてきたものですから、ここはひとつ美白になろうと急におもいたったわけです。で、「美白」を検索しているうちにであったのが、『米国で起こった黒人差別への抗議運動を受け』「美白」表現を使わないという記事。差別への配慮ということらしいのですが、これには聊か疑問があります。

たとえば、黒という色がなにかに差別されたからといって「私は差別されたからこちらからも差別するのだ」という考えは当然に成立しません。それは根底から差別を否定する我々とは相容れないものです。「あの人がやるのはダメだが、この人ならいい」とか「今はダメだが明日ならいい」「知られてはいけないが知れれなければいい」などという例外が認められるはずないのです。ですから、黒が差別されたからと言って白や赤、緑や黄色に「あなたがたが美しさを主張するのは私への差別だ」というのなら、それは黒による他の色への新しい差別の誕生に他ならない。黒が戦うべきものはまさに自らを差別したなにかとであって、他の色の美しさを否定することではないからです。

誰かが差別したから私も差別し返すのだという考えを容認はできません。
黒には黒の美しさ、白には白の美しさがあり、恣意的に言葉狩りをするような風潮には疑問を持たざるを得ません。こういってはなんですが「何か言われると面倒だからその前にとりあえずやっておこうぜ」くらいの感覚で深い考えもなくやっているとしか思えない。相手を軽くみているし、第一、言葉のうしろにある伝統や歴史までをも自ら否定することになることに気付いているとは思えないのです。

主張の食い違いですら、結局は欲のぶつかり合いになり、気に入らないものへの怒りになります。
たとえば、「基本的人権」というものは上下左右のどこからも否定できない社会的概念です。なぜなら、この権利は人としてただしいことという性質のものだからです。
ヒトラーという人は世界のどこでも悪人とされていますが、彼のように世界中から嫌われ否定され罵られるような人であろうと、どんな犯罪者であろうと、空気を吸い水を飲み太陽の光が降り注ぐことを拒否できないように、基本的人権は否定できないものです。但しこの権利は、たとえば日本では憲法において「公共の福祉」というものに制限されています。ですから権利と権利がぶつかり合う時にはどちらの権利も無制限に認められるものではないのです。

こんなことは中学校の公民で習う範囲のことですから今さらな話ではあるのですが、「弱者」とか「差別」という言葉がでると恰も一方にだけ強い権利があるような気がしてしまう。
しかしながら、権利と権利が対立をしている時点で、それはもうお互いの正しさを言い合ってエアコンの暑い寒いを言い合うようなものです。それは、大凡人間の欲というものと無縁であることはありません。どちらの感覚が正しいというのではなく、どちらも何かが足りないとかおかしいから対立することなったのです。夫にとっては暑いという感覚が正しい、妻にとっては寒いという感覚が正しい。お互いにお互いの感じ方が違うのだから当然です。だからこそ、相手の存在に寄り添うというだけでも問題は解決することがありうるのですが。
ここで「女のくせに!男の言うことをきけ!」というのも異常だし「男のくせに!レディーをないがしろにするなんて!」なんてのも同様に異常。どちらかが一方的に幅を利かすのは更に異常な事態。自分の意に沿わないという怒りによって「あいつ我儘でさ」とか「彼って男尊女卑なの」という言葉を発する。そうすると我儘と思われたくない、男尊女卑ではない、差別していると思われたくないと萎縮してしまい、結局は一方の言いなりになる。これこそ差別やいじめ、ハラスメントのはじまりになります。ほんとうに異常です。

権利の主張はいいとして、他者の権利を侵してまでしようとするのは権利の濫用というものになってゆく。権利、権利と口にする前に考えたりするべきことがあるはずです。
最近では、駅で車椅子の補助のために駅員さんを4人呼び出したという事例がありましたね。駅員にはある程度の配慮が求められることになってはいるものの、駅員の本来の業務がそれによって妨げられるようではならない。列車の安全な運行こそ、利用者の安全こそ求められる第一の業務のはずですから、その業務に差支えのあるような「権利」の行使を押し通したのは、まさに公共の福祉を軽んじたか、そもそも念頭にすらなかったかということになる。この件ではこの方のブログが炎上し批判というより非難が殺到したようです。差別という言葉や弱者を理由として自己の権利のみを押し通そうとする意識は、社会的に拒絶される結果になったことに留意すべきです。わたくしのこれは、批判ではなく共に歩むという視点からみてのものです。心すべきことと思います。

そういえばかなり以前、セサミストリートのアーニーとバートを結婚させようという運動があることを耳にして愕然としたことがありました。

これに関しては
『これまでにも言ってきましたが、バートとアーニーは親友同士です。彼らは、自分と違う人とも友達になれるということを未就学児たちに教えるために作られました。男性キャラクターとして描かれ、人間の特徴も持っていますが、あくまで彼らはパペットである、性的指向はありません』
という公式見解がだされていますので、もうどうでもいいのですが‥

恰もそれが正義であるかのように「結婚すれば同性愛者に対する偏見をなくすのに役立つ」
との理由で結婚を求められたことがありました。純粋にセサミストリートを楽しんでいる立場からすると、そちらの立場に文句をつけることなどないのに、勝手にこちらの気分や楽しみを壊そうとするのは、正直迷惑以外のなにものでもない。皆に愛されているキャラクターを破壊し、自分たちにだけ都合のいいように改変しようなど、自分勝手にもほどがあるというもの。見たくないポルノを無理やりみせられるのがセクシャルハラスメントあるいは性的DVにあたるとすれば、皆が愛しているキャラクターに勝手に性的なイメージをなすりつけることも十分なセクシャルハラスメント・性的DVです。
同性愛者であるから差別されることと戦うというのならともかく、他者に自分の指向をおしつけようとすることが権利であるというのもやはり誤解であり濫用です。少数者だから、弱者だから、差別されていたからといって、自分の権利を無制限に叶えようとしていい道理はありません。他者の権利や指向を否定してまで自己主張することは必ず軋轢を生みます。ともに同じ社会で生きていくからこそ、権利の主張や行使には慎重であるべきです。

というようなことを考えているうちに、美白がどこかへいってしまいました。
ですが、せっかくの機会ですからシミ・そばかす対策をしてみましょうということで購入したのがケシミンとアットノンというクリーム。さんざん水泳やらなにやらでできたものを50すぎてようやくなんとかしようというのですから心もとないですが、ちょっとくらいシミが目立たなくなればよいというところです。

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