聖バルラームと聖ヨサパト
学生時代、ありとあらゆる分野に長けており、知らぬことのないと思えるほど豊富な知識を蓄えていた尊敬すべき優れた友人がおりまして、もう30年にもなりますが、その友人が面白いと勧めてくれた本を、久しぶりに手に取っておりました。
人文書院発行の『黄金伝説』全4冊本。
ごく簡単に申し上げますと、13世紀にイタリアで集成されたキリスト教の聖人列伝です。書名に「伝説」とあるように、それなりに脚色されたものです。つまり結構盛っているお話しが満載なのでこれがまたおもしろかったりするのです。その中に聖バルラームと聖ヨサパトのお話が掲載されております。※1
物語の舞台はインド。とある王がインドのキリスト教徒や修道士を迫害し始めたとき、王の友人で宮廷第一の地位にあったバルラームが神の思し召しで修道士になるところから物語は始まります。王は怒り、友であったバルラームを追放してしまいます。
その王に王子が生まれました。そこで多くの占星学者を集め王子の未来を占わせます。みなが権力や富に恵まれると答える中で、最高の占星学者だけは「この子はキリスト教徒になり、王の王国ではないはるかにすぐれた別の王国をおさめるであろう」と予言します。驚いた王は壮麗な宮殿を建て、眉目秀麗な者だけを侍らせ、王子の前では「死とか老い、病気、貧乏というような、こころを暗くさせるような言葉をいっさい口にせず、王子がいつも喜びと楽しいことばかり取り巻かれて」※2暮らすようにします。しかし成長するにつれて、王子が宮殿に閉じ込められていることにつらい思いをしていると知った王は、馬で宮殿の外に出ることを許します。
馬を駆ってすぐに、王子は病気の男たちに出会い、驚愕します。また、その先で老人と出会い、さらに老いの先には死というものがあることを知ります。そのため王子は悲しみに捉われ、こうした苦しみについて誰かから教えをうけたいと願うようになり‥‥‥やがてバルラームと会い、キリスト教徒として出家してしまいます。どこかで耳にしたことのあるお話ですので、以下は省略いたします。
当時のキリスト教世界では仏教は邪教の扱いでしたから、「シャカ」「ブッダ」などの言葉を避け「ボーディ・サットヴァ」という言葉を派生させたジョサファットなる名を用いたらしいのです。で、ヨサパト。モデルはもちろんお釈迦さま。皮肉なことに大変人気のあるお話であったそうです。
ただ、そこは「キリスト教の聖人」としての伝説ですから、その後のお釈迦様の生き方とはまったく別のお話になるのは仕方のないことです。ただ、物語としてはおもしろいものです。
四門出遊というお話は、これ自体が脚色されたものであろうお話であり、実によくできております。お釈迦さまは青年時代には同じように宮殿で何不自由なく過ごしており、その有様を「比丘たちよ、われは苦なく、究竟して苦なくありき」と語っております。つまり、衣住食における快適さや感覚におけるありとあらゆる快楽というものを、全部自分のものにしていたわけです。そのうえで、快楽をいくら満たしたところで、それを幸せとはいえないとはっきりご自覚なされ出家された。感覚による快楽は人を安楽の境地に導くことはないとはっきりお知りになられたのです。
出家後の断食苦行では、お釈迦さまの手足は「葦の節のよう」になり、腹が背中にくっつくまでにもなったのに、むしろ頭がはっきり働くこともなくなり、苦痛を得たところでそれがまったく役にたつものでないことをもお知りになられました。
このように知ることができたのも、お釈迦さまが、アーラーラ・カーラーマとウッダカ・ラーマプッタという2人に師事し「無所有処」「非想非々想処」なる境地、即ちその境地にある時には安楽であり、意識があるともないともいえない、感覚にも左右されない境地を既に体験されていたからこそです。
お釈迦様の事績、御生涯を知るだけでも多くのことが学べます。それはたとえば達磨大師や道元禅師においても同様です。そういった考察もいずれできたらよいと思います。少なくとも興味ひかれるものであります。
※1『黄金伝説』人文書院4巻P374
※2『黄金伝説』人文書院4巻P376