お墓参り

お墓にお参りの際には、お寺ならまず本堂のご本尊さまに、各地域ごとの墓所や墓苑などでは、まず祀ってある六地蔵さまや仏さまに手を合わせましょう。
続いて、無縁仏のご供養をいたします。最後に各家のお墓のお参りをいたします。

お墓にお参りいたしましたら、まずはお墓を洗い清めます。コケなどを水できれいにおとし、雑草などを抜いて手入れをいたします。お墓がきれいになりましたらお灯明をともし、お花をあげお線香、お供物を供え、お水をかけてご供養いたします。

お墓はご先祖様の安息の地であり、またこの世に生きた証としての体であり宿りの場でありますから、お盆や春秋の両彼岸や命日などの墓参はとても大切にすべきご供養であります。

本堂のご本尊様や六地蔵様に手を合わせますのは、ご先祖様をお守りお導きいただいていることへの感謝であります。

無縁仏のご供養につきまして。
そもそも無縁仏と申しましても全くの無縁ではありません。自分の両親は2人ですが、祖父母は4人です。曾祖父母は8人、さらに一代さかのぼった高祖さまがたは16人、5代さかのぼって32人、ここまで合わせまして62人。さらには兄弟姉妹、その家族となればその何倍にもなりましょう。そのうえ、その間、地域の方とのお付き合い、お世話になった方もいらっしゃれば仲の良い方もいらしたでしょうし、第一、夫婦となるとすれば、別の家の赤の他人同士ということが殆どでありましょうから更にその一族。こういった地域の方々、血のつながりはなくとも生活のつながりのあった方々を無縁とはいえないのです。ですから、いわゆる無縁仏に手を合わせ「皆ともに安らかでありますように」と思いを手向けていただくことは、ご先祖さまにとっての大きな功徳となると考えられております。ご自分の家の墓参のまえに、このような大きな功徳をもってご先祖様にお参りなさるのが一番よろしいのです。

さて、お家のお墓参りですが、水できれいに洗い清めてください。
水は除垢。水は汚れを洗い清め清浄なものとするものです。これが水の徳であります。お墓の点眼や移墓の際には浄洗洒水や供養洒水といって、水をもって供養をいたしますが、まずはお墓をきれいに洗うのです。
世間では「お墓に水をかけるのは頭から水をかけるのと同じで失礼」などということも言われているようですが、これは洒水の意味を知らないからであり、後づけで根拠のないことです。頭を洗う時に水をかけられたといって床屋に怒り出す人はおりますまい。まして罪を洗い流し清らかにする加持された水ならなおさらです。

お墓がきれいになりましたら、火をともします。
一般的には蝋燭を献じます。この火は仏の智慧の光明であり「仏智よく衆生の闇夜を照らし、無明長夜の黒闇を照破す」といい、苦しみを離れ安らかなる道を歩む知恵であり導きであります。それゆえ除災招福・除魔消罪の功徳をもたらすものでもあります。

華は仏の慈悲であります。菩提心が開敷したありようをあらわします。また仏の清らかな悟りは華のようであるとして華を献じ荘厳いたします。仏さまの清らかなこころを飾るのです。

次にお香をお上げいたします。香は香食といって、香りを食としておあげするということです。「戒香定香解脱香 光明雲大遍法界 供養十方無量仏・法・僧見聞普薫証寂滅」という香徳により香雲となり法界に遍くゆきわたって一切の三宝を供養いたしますのがお香です。

水を灌ぎます意味は沐浴同様、墓地を荘厳し、あるいは清浄にし、あるいは罪障消除することであります。万物を育て、万物を生かす慈悲の水、これを灌いで仏心が芽生え育つことを願います。
また湯飲みなどにたっぷりの水をおあげください。水こそは命の根本でありますから、仏さまにお水を差し上げますことは何よりのご供養となります。

年忌のご供養はじめ、あらゆるご供養に水は欠かせない大切なものです。これらの供養はみな水供養と考えていただいてよろしいかと存じます。お塔婆にあります「バン」の梵字は水をあらわすものです。

上にのべました香華灯水食の五種の供物はご供養には欠かせないものでありますから、せめて年に数回の墓参のおりにはこれらを整えてお参りください。

墓じまい

昨今、「墓じまい」なる言葉にて、お墓を整理するということが増えているようです。
これまでの墓石についての問い合わせは、例えば、新しい石塔を造立したので、古い墓石をいかがしたらよいのかということが大多数でした。

その場合は、まず発遣供養(魂ぬき、精ぬき)を行います。龍泉寺では、古い墓石をお寺の墓地内に並べて置いてありますので、その場所にご移動いただければよろしいのです。お墓を建て替えたり移動したりする時には、墓石を扱う業者さんにお願いするのが最も一般的で簡単な方法です。古い墓石や欠けた石などを引きとりしてくれる業者さんも多いので、業者さんにお願いしてみることもできるでしょう。
ごくまれに、土に埋めたりなにかの足台にしたりするケースもあるようです。そういった相談をうけたこともございますが、やはり気持ちのいいものではないようです。戒名の刻まれた石を他の用に転ずることなどはせずに、きちんとお寺におさめるか業者さんに引き取ってもらうかしてください。

さて、最近いうところの「墓じまい」とは、お祀りする子孫や一族がおらず、放置になる前に墓地を整理(更地にしたり、供養のかたちを変えて永代供養にするなど)するということのようです。

その場合でも、きちんと発遣供養(魂ぬき、精ぬき)をおこなってから、墓地を更地にします。墓石、特に棹と呼ばれる中心になる石などをきれいに洗ってください。そして、墓じまいの石はできるだけお寺におさめていただきたいと思います。というのも、当龍泉寺でも、いわゆる「無縁の石塔」が増えてきておりますが、「無縁」とはいうものの、かつては縁があったからこそお墓があり、埋葬されたものです。決して誰とも「無縁」であるはずはないのです。
様々な事情で「無縁」となってしまったお墓ですが、代々のご先祖様を供養してきたお寺と「無縁」であるはずがありません。お参りのみなさまの誰でもがお参りし手を合わせて頂ける、そんなご供養ができるようにと願っております。

墓相

墓相と一口に申しましても、理に適うものもあれば、俗にいう迷信というものもあり玉石混交との感想を禁じ得ませんが、そのうち特に尤もであるというものを取り上げてみます。
墓石は奇形を忌む
文字が正しくあるを尊ぶ
墓地は不浄を忌む
もともと日本における墓地は「奥津城」として住宅の奥に築いたものであり、終の棲家でありますから、その形が奇抜なものであるのはよろしくありません。古くからあります墓所には墓数が多いこともありますから、例えば雛壇式にするなどして集めて整理するとよいとされます。
基本的な形としては、下の台石、中の中台、上の竿石とよばれる戒名を書く段の三段でありますが、墓所の構成上、このほかに芝台などがあります。とにかく無闇、徒らに積み重ね高くすることは避けるべきです。自然石をそのまま用いることも不可。墓所としては不適切です。
形だけでなく大きさもですが、特に功績がある、特段の出世をしたなどの理由で一人だけを大きくすることも避けるべきです。

納骨にあたりましては大凡49日までを目安にすべきですが、地域の習慣や季節にもよりますので一概にいつが正しいとはいえません。とはいえ、お骨は自然に返すべきものですからいつまでも自宅の仏壇やお寺に預けっぱなしというのはよろしくありません。納骨の際には瀬戸物の骨壺は避け、木製や布製のものがよろしいようです。これはお骨を自然に還すべきという本義にしたがうものだからです。

墓地は南向きまたは東向きが良いとされています。広さは10坪から15坪程度までを目安にし、その入り口は辺の中央であることが望ましいとされています。墓地は日陰を忌むので、喬木を植えるのは不可。また喬木は根を張り墓石に影響があるのでよろしくありません。香木、香華などの灌木ならよいとされます。この際、落葉樹は避け常盤木といたします。山茶花などが望ましいようです。

戒名を刻みます際、肩書や叙勲、官位などは刻みません。楷書、隷書を用い、行書、草書、その他の字体は用いません。

この他にも留意すべき点がなお多くありますが、検討を加えつつ加筆してまいります。