献華とは「五種供養」のひとつ、仏さまにお供えする供物、香・華・灯・食・浄水の五つのうちの一つ、華をお供えすることを言います。 供養とは日々に必要なものをお整え申し上げることでありますから、衣住食を欠かすことはできません。そのうちの「衣」にあたるものと仮にお考えいただきたいと思います。

華の清らかさ・美しさによって仏さまの仏性を荘厳する、つまり装飾申し上げるのです。華は仏前にお供えいたします時に、仏さま向きではなく我々のほうに向いております。これを仏さまの清らかな着物とお考え下さい。着物であれば、当然、表が外側に裏が内側になります。仏さまの仏性、そのみこころは華のように清らかで美しいということをあらわしているのです。

従いまして、華は数多く豪華であるのがよいのです。着物にも季節があるのと同様、華も季節の華をおあげいたします。

華とは常緑樹の意味だそうです。仏さまの菩提は常住でありますことをあらわすので、落葉樹は用いないとのことです。

用いる華はシキミヒサカキ
春夏秋冬、季節ごとに季節の華を用いるのですが、冬には華が咲かないので、冬でも用いることができる香のある木だからとのことです。葉がきれいで花の咲く木を選び、トゲのある木や光沢の少ない木は避けるもののようです。
常緑広葉樹を用い落葉樹を用いないのは「仏の菩提は常住にして変易あることなし、という意味である(『龍華』P512)」とあり、ツバキ科またはモクセイ科がよいとあります。

 

松・杉は諸災消除・悪魔祓いに用いる(『龍華』P512-513)
そもそも華はその香気によって邪気を払うものでもあります。ですから、臭いのよろしくないものトゲのあるものなどは避けるのですが、松や杉は例外です。同じ常緑広葉樹でも松や杉ははなやかではなく葉も尖ってとげとげしいものなので、「通常の仏華としては適当ではないものの、諸災消除・魔除けなどの献華としては用いてよい、逆に草花は禁物」との口伝があるようです。

桜花、桃は仏華にはならない(『龍華』P513)
そもそも、日本では古来からは死霊を払う実、邪気払いのものとされているものとされています。しかしながら、迷い苦しんでいる悪霊などを救うのが仏教でありますから、悪霊除けの華を用いるのは本来のありように背くこととなるとのことです。桃はバラ科であり、同じバラ科には桜・梅などがあります。梅はサクラ属であり、村上天皇が申年の梅をつかって疾病を退けた話もあり、寒梅なども同様の理由で避けたほうがよいかもしれません。

柳は厄払いの木(『龍華』P516)
古来日本では、柳は松と同様に神のおりてくる神霊の宿る神聖な木でありましたので、悪魔祓い・厄払いの木とされています。従って神社仏閣の境内にあるべき木でもあります。めでたい時、葬儀の時など、折々の行事に際して柳の木が用いられているようです。

ネコヤナギは清らかな華(『龍華』P515)
ネコヤナギは涅槃会や神事に用いられることがあります。冬のあいだ寒中で咲くのはネコヤナギであり、他のヤナギに先駆けて開花するということと、ネコヤナギは河川の水辺にみられることから水に洗われた清らかな華とされることからのようです。

左華・右燭(『龍華』P513)
華は基本的に一対でおあげ致します。華は数多く豪華であるのがよいのですから、一対であげられるのでしたらそのようになさってください。但し、場所の都合などで対にできないときは、向かって左に華を供え向かって右に燭を灯します。まれに山野の野草を短く採り、一本または数本あげておられるのを目にしますが、その際は、特例として小さな花瓶なら中央においてもよいとの口伝があるようです。

献華の区別(『龍華』P1137)
本堂の仏さま、凡そ如来、菩薩などの仏さまには色花を献じます。夜叉形像には青葉を献じます。降伏像には草花は原則としてお供えしないそうです。特に、血や火を思わせる色を忌むのは、もともとが夜叉であったためであります。

上記の内容は、既にページを記載しているように、滴禅会発行の『龍華』の内容をごく簡単に抜き出したものであります。その都度のことでありますから、分厚い『龍華』を繙くのも大変であり、「華」の項目だけ一つにすれば何かの役にたつかもということでまとめたものであります。従いまして本項目はこれから随時、書き足しや訂正をおこなっていかなくてはなりません。碩学のご指摘を願うものであります。