いたぢ和尚の昔話

寺田傳一郎氏の『羽後浅舞町近傍見聞書』に いたぢ和尚のおはなしが紹介されております。

「むかし百何十年前のこと淺舞の龍泉寺の和尚さんが、每朝はやく看經するとき何處からともなく一疋の鼬が現れて、必ず一枚の木の葉を銜へて來るのであった。和尚さんはその度に尊い御經の文句を少しづゝ書いてやると、それより二十一日目にお寺の庭のおんこ※1の木の下に、經文を書いた木の葉で巢をつくって、とびらを卷いて死んでゐる鼬を見出した。
その晩和尚さんの夢枕に立った鼬は、この村の井上喜平の女房の腹を借りて生まれ變わるからその時はどうか育てゝ給ふやうにと前脚を擦り合せて賴むのであった。夢の後で和尚さんが喜平の家に赴いてみると、可愛いゝ男の兒が生れたので二十一日で引き取って、寺子として淺舞の伊勢屋にあづけて育てゝ貰った上に、幼年より學問を敎へたので後には遂に鹽越※2の蚶滿寺の大和尚に登った。
いたぢ和尚は二十里も離れた淺舞に變事が起ると透視したが、或時郷里に火事があるとて蚶滿寺の庭の坪石に水を注ぐと、水は熱湯のごとく沸き石は轟々と鳴った。亦父親の喜平や叔父の在郷力士の某等が鹽越に和尚を尋ねるのを、今日は誰が來る明日は某が來るなど言ひ當てた。
今も蛭野村の井上辰之助の家に、緋衣姿の和尚が腰を掛けた圖があって、經文の卷物も傳はつてゐる。」

 
脚注

※1 「おんこ」とはイチイの方言。別名アララギ
※2 鹽越は象潟の地名。1889年塩越村、1896年町制施行により象潟町となった